サンプルイメージ

Life

たくさんの山脈が連なる長野県
坂が多く、島崎藤村が暮らしていた町として知られる
小諸の地で産声を上げる

春は小諸城跡地の懐古園の桜
夏は祇園で建速神社の御神輿やドカンショ祭り
秋は紅葉で美しい山々を見ながら読書やスケッチ
冬は雪で覆われ真っ白になった浅間山が顔を出している
水道は凍るがそこでいろんな知恵を教えてもらう

小さい頃「将来の夢は?」という問いに
私は小さいながらも家業を継ぎたいと言えば
親が喜ぶことを知っていた
だから、そう言っていた

親は何に関してもスパルタ教育
掃除やマナーも厳しく仕付けられた

いつから音楽の道を選んだだろう
確かそれは
14歳のあの出来事からだ

非常に不思議な体験で(省略)

学校から帰ってきたら準備体操
そして楽器へ向かう
毎日深夜0時までもくもくと練習する
練習しないと楽譜を隠されたり、破られ窓から捨てられたり
セロハンテープで継ぎはぎしたボロボロの楽譜を教室へまた持っていく

高校は商業科で主に簿記やパソコンの学習
大学は電子オルガンで主にクラシック曲を習う
ラヴェルやバルトークが好きだった

この時"あれ"に出逢ってしまう

それは Moog

あのC3の音を聞いた瞬間、体の中に大きな電流が走った
「なんだこの音は!?」
自分でも頭の中でわかっていた音のはずなのに
本物はそれを軽く通り越し、私の前に大きくそびえ立っていた
そして、 その音から離れられなくなり
なにより可愛い、愛しく思えた

知り合いが音楽留学していく中
進路に不安を抱いていた
音楽でどう生活していくのかが見つけられない
この地を離れたら自分が探している何かを見つけることができるのか
しだいに海外へ行きたい思いを募らせていく

20歳で日本を離れ
海外の知識を得た自分は希望と恐怖でいっぱいだった
飛行機の中ではお守りと母子手帳をにぎりしめながら
ずっと泣いていた

音楽を勉強しに来たはずが
文化の違いやいろんな国の人が英語を話すから
独特ななまりに耳が慣れていかない
背が小さいから子供だと思われて相手にされない
身の危険を守るために大きなドライバーを持ち歩いていた
とにかく生活していくことが一番大変だったんだ

音楽をやっているときだけが一番の救いの時間であった
音楽には国境がなかった

自分なりにその何かを見つけられたから
日本に帰って来れたと思っている
それは自分にとって
ものすごくシンプルなことだった


--------------------------------------------------------------------------------
4歳から幼児のための音楽教育を受けながら、ピアノとエレクトーンを習う
10歳の時、中村知恵子師にエレクトーンを本格的に習う
他店舗の先生の勧めから14歳の時にエレクトーン演奏研究会に通う
演奏技術や即興演奏を森俊雄師、作曲を尾崎隆太郎師に師事

高校1年生でジュニアエレクトーンコンクールの長野県大会で銀賞を授賞
高校2年生でジュニアエレクトーンコンクールの長野県大会で金賞を授賞
関東甲信越大会では自ら作曲した楽曲で銅賞を授賞
その後、ジュニアオリジナルコンサートのエレクトーン伴奏や声楽のピアノ伴奏を担当

洗足音楽大学 電子オルガン科へ入学
上原 直先生に演奏技術やシンセ技法を習う
バークリー音楽大学 Music Synthesis科に入学するため渡米
Dr.Boulangerにコンピュータ音楽を師事
Bob WinterとRoss Ramsayにピアノ、Bruce Katzにブルースやロックオルガンのテクニックを師事
在学中、プログレバンドにスカウトされショルダーキーボーディストとして活躍する
自らのオリジナルコンサートをBostonで開催
日本の音大で取った単位が合算できないという問題がありながらも
飛び級し2年で卒業